管内寺院紹介

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胴殻さま
【担任】
高倉章瑞
【仏像】
石造馬頭観世音立像(高さ66Cm)

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沿革

 昭和36年11月の創立。開山法耕院日久尼。
 当教会の境内地は、元来久が原小原家の所有地であったが、明治以前より観音堂があり、近隣の信仰を集め観音講が組織されていた。その頃の言い伝えに、享保元年、常陸国の郷土某村の一女が村の紛争を避け、懐妊の身を黒馬の背にゆだね鈴木庄之丞という従者に伴われ七日間をかけてこの丘の麓に着き、観音堂に籠って祈念をこらすこと数日、霊験あって村は平穏を取り戻し一女は村に戻って一子を安産することができたが、従者と黒馬はこの地にとどまり、この丘に骨を埋めたという。小原家15代小原義雄は信仰心篤く、かねてより親交の深かった厳定院41世の力を借りて宗教法人の設立にこぎつけ、小原家の菩提寺である本光寺住職 高倉勝貞上人に教会の担任となってもらった。池上七福神の大黒天を祀る。
 慶応3年徳川慶喜は大政を奉還したが、幕府譜代の臣、あるいは親藩に於ては反旗をひるがえす者もあった。そうした混乱の中、幕臣渡辺建蔵なる者が捕えられ、霊山橋で斬殺されてしまう。そして、その首は鈴ケ森の刑場に曝され、胴は千本松と称された久が原谷築(馬捨て場)に葬られ碑に「不敵士の墓」と記された。胴殻さまと呼ばれるゆえんである。なお、この場所は夕日の晩鐘として有名な本門寺の鐘(加藤清正公寄進)を鋳造した所でもある。

信行会・行事

  • 池上七福神。
  • 大黒天を祀っており、七福神めぐりのスタンプ、お札授与を行っています。
  • 毎月17日 午後2時より信行会を行っています。(檀信徒以外も可)

紹介動画

境内写真