管内寺院紹介

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【住職名】
30世 吉田尚英
【旧称】
蓮乗院
【旧本寺名】
池上本門寺
【旧寺格】
素 池上・神楽坂法縁 住職は池上・感応寺法縁
【本尊勧請様式】
一塔両尊四士
【仏像】
木像釈迦多宝如来像 宗祖坐像 釈迦如来立像

お問い合わせなど

【所在地】
〒146-0082 大田区池上1-19-10
【電話】
03-3751-0533
【ホームページ】
http://www.eijuin.jp/

沿革

 寛永7年(1630年)7月、本門寺16世として心性院日遠聖人が晋山したが、翌年5月日遠聖人は本門寺を弟子の日東聖人(本門寺 17世)に任せ鎌倉に隠棲した。その際日遠聖人の隠居所として日東聖人が建てた庵室が永寿院の始まりだといわれる。永寿院の日蓮聖人座像底面に「寛永7年」と記されていることがそれを裏付けている。創建当初は日東聖人の法号に因み「蓮乗院」とよばれていた。
 また、関ヶ原の戦いでの軍功により徳川家康に仕えた大名備中庭瀬藩主戸川達安(とがわみちやす)が下屋敷を寄進したと伝えられており、達安の法名に因み、山号は「不変山」という。
 日遠聖人は、徳川家康の側室養珠院お万の方の篤い外護を受けた。お万の方は紀州藩祖徳川順宣の生母であり、池上本門寺が紀州徳川家の菩提寺になったのも日遠聖人とお万の方の縁による。
 その後元禄の頃、永寿院は頼宣の娘芳心院(鳥取藩主池田光仲の妻)の帰依を受け、芳心院の墓所を造営、寺号も「永寿院」と改称、さらに揚羽蝶の寺紋も池田家から賜ったといわれている。宝永5年(1708)に没した芳心院の墓所は、造営に一万両はかかったであろうとの風説から通称「万両塚」といわれている。
 平成15年より万両塚周辺の調査・整備に取り組み、弥生時代住居跡・堤方権現台古墳と一体化した遺跡霊園として多くの参詣者を集めている。

信行会・行事

  • 毎月第二日曜 13時〜 信行会『永寿会」

定期行事

行事内容日時対象など
春季彼岸会春分の日 13時檀信徒・一般
花まつり4月第一日曜檀信徒・一般
盂蘭盆施餓鬼会7月3日 13時檀信徒・一般
秋季彼岸会秋分の日 13時檀信徒・一般
宗祖御報恩会式10月12日 17時檀信徒・一般

紹介動画

見どころ

  • 1〜2月 梅
  • 3月下旬〜4月上旬 しだれ桜、沖縄桜
  • 11月 銀杏、紅葉

史跡、文化財など

  • 「芳心院墓所」(俗称 万両塚)
  • 堤方権現台古墳
  • 弥生時代住居跡

境内写真