
- 【住職名】
- 55世 野坂法章
- 【旧称】
- 玉蔵坊→常宣坊→常仙坊
- 【旧本寺名】
- 池上本門寺
- 【旧寺格】
- 平 池上・中延法縁
- 【本尊勧請様式】
- 如来滅後未曽有の大曼荼羅御本尊
- 【祖像】
- 説法像(昭和58年)
- 【仏像】
- 妙鮑祖師立像 (セメント造・昭和初年)
お問い合わせなど
- 【所在地】
- 〒146-0082 大田区池上1-33-1
- 【電話】
- 03-3752-1409
沿革
天文18年(1549)の創立。開山本門寺9世東照院日純。もと玉蔵坊と称した。
御園村の月村宗観の葬送の時、落雷して怪物が死者の右腕を持ち去った。導師日純の祈念によりその腕が戻るが、日純は不徳を恥じ池上を退き宝蔵坊に隠棲した。以来「雷除の符を乞うもの門前市をなした」と伝える。一説によると、日朗の直系日範の庵室 ともいう。天保13年(1842)、鼠山感応寺の廃寺に当り、住持妙沾院日詮は当寺に隠棲し、感応寺の居間を縮小して移築したと伝えられる。今次大戦で南谷檀林山門と共に全焼、戦後に復興した。
53世野坂法山は仏像彫刻家であり池上本門寺の本殿に勧請の一尊四士像の内、安立行菩薩像、祖師像を彫刻する。そのほか厳定院、東之院の祖師像など、その作品は全国に及ぶ。
御園村の月村宗観の葬送の時、落雷して怪物が死者の右腕を持ち去った。導師日純の祈念によりその腕が戻るが、日純は不徳を恥じ池上を退き宝蔵坊に隠棲した。以来「雷除の符を乞うもの門前市をなした」と伝える。一説によると、日朗の直系日範の庵室 ともいう。天保13年(1842)、鼠山感応寺の廃寺に当り、住持妙沾院日詮は当寺に隠棲し、感応寺の居間を縮小して移築したと伝えられる。今次大戦で南谷檀林山門と共に全焼、戦後に復興した。
53世野坂法山は仏像彫刻家であり池上本門寺の本殿に勧請の一尊四士像の内、安立行菩薩像、祖師像を彫刻する。そのほか厳定院、東之院の祖師像など、その作品は全国に及ぶ。