- 【住職名】
- 59世 鈴木秀行
- 【旧称】
- 妙法坊
- 【旧本寺名】
- 池上本門寺
- 【旧寺格】
- 平 池上・柳島法縁
- 【本尊勧請様式】
- 一塔両尊四士
- 【祖像】
- 説法像(大正年間=1912~26)
- 【仏像】
- 釈迦多宝坐像(大正期) 四菩薩立像(大正期) 文殊・普賢騎像(大正期)
- 【寺宝】
- 過去帳(慶応2年) 日現本尊
お問い合わせなど
- 【所在地】
- 〒146-0082 大田区池上2-11-5
- 【電話】
- 03-3751-7207
沿革
室町時代(1393年頃 の創立。開山蓮池院日藤。開基仏寿院日現。当初は蓮池院と称した。
永正日年仏寿院日現が来って修造を加え、その頃は広布山妙法坊と呼称。昔は池上西の谷にあったが、天文2年(1533)の火災後、東の谷に移り、元亀4年(1573)再び焼失し、祖師堂の東・七面社の西の傍に移り、元和年中に堂宇再建。
江戸前期、阿部家・井出家の外護をうけ井出寺とも呼ばれたが、元禄3年(1690)防火政策から西の谷宝樹坊の跡地へ移転。宝暦年中「妙法院」が京都妙法院宮に紛らわしいとして、大檀越井出為成の法号に因み覚源院と改称した。
中興開山4世仏寿院日現は大坊11世・池上11世へ。
50世専心院日秀は品川本照寺へ。
51世竜寿院日量は大坊44世・池上76世へ。
52世澄明院日澄は大久保法善寺22世へ。
54世妙現院日喜は柳島法性寺37世へ。
56世鈴木日意は柳島法性寺38世へ。
永正日年仏寿院日現が来って修造を加え、その頃は広布山妙法坊と呼称。昔は池上西の谷にあったが、天文2年(1533)の火災後、東の谷に移り、元亀4年(1573)再び焼失し、祖師堂の東・七面社の西の傍に移り、元和年中に堂宇再建。
江戸前期、阿部家・井出家の外護をうけ井出寺とも呼ばれたが、元禄3年(1690)防火政策から西の谷宝樹坊の跡地へ移転。宝暦年中「妙法院」が京都妙法院宮に紛らわしいとして、大檀越井出為成の法号に因み覚源院と改称した。
中興開山4世仏寿院日現は大坊11世・池上11世へ。
50世専心院日秀は品川本照寺へ。
51世竜寿院日量は大坊44世・池上76世へ。
52世澄明院日澄は大久保法善寺22世へ。
54世妙現院日喜は柳島法性寺37世へ。
56世鈴木日意は柳島法性寺38世へ。
信行会・行事
- 毎月12日に唱題会
定期行事
行事内容 | 日時 | 対象など |
---|---|---|
春季彼岸会 | 春分の日 | 檀信徒のみ |
盂蘭盆施餓鬼会 | 7月11日 | 檀信徒のみ |
秋季彼岸会 | 秋分の日 | 檀信徒のみ |
宗祖御報恩会式 | 10月12日 | 檀信徒のみ |
新春祈祷会 | 1月3日 | 檀信徒のみ |
紹介動画
寺院データ
供養内容 | 日時、お申し込みなど |
---|---|
塔婆供養 | 要問合せ(行っておりますが事前に日時の予約) |
年間供養 | 要問合せ(行っておりますが事前に日時の予約) |
水子供養 | 要問合せ(行っておりますが事前に日時の予約) |
永代供養 | 要問合せ(行っておりますが事前に日時の予約) |
供養内容 | 日時、お申し込みなど |
---|---|
交通安全 | 要問合せ |
七五三 | 要問合せ |
地鎮祭 | 要問合せ |
家祈祷 | 要問合せ |
厄除け | 要問合せ |
九星相談 | 要問合せ |
施設 | お申し込みなど |
---|---|
分譲墓地 | 要問合せ |
永代供養塔 | 要問合せ |